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「バルトの庭」へ寄ってみた・・・しょの3

宿舎
管理棟を出て、Baracke(バラッケ)へやってきました・・・
入り口の左に「Baracke2」の看板が出ています・・・
「Baracke」とは兵営とか兵舎とかを表しています・・・
土台は管理等と同じレンガ積みですねぇ~・・・
外壁は、管理棟と同じく日本家屋でも良く見かける南京下見張りの板張りです・・・
でも屋根は木材による板葺きでしょうか・・・
これで雨漏りはしなかったんでしょうかねぇ~???
管理棟もBarackeも良く似たつくりですが、管理棟は屋根が瓦葺なのに対して、バラッケは屋根が板葺きなところが違いますねぇ~・・・
当然、大正時代の建物ですから雨樋などは付いていません・・・
今の建物と比べれば随分と粗末な造りですが、当時はこれでも良いほうの造りだったに違い有りません・・・
更にレンガなどが使われて居て、当時の日本家屋は土壁・萱葺ですから、随分とハイカラな造りのバラッケですねぇ~・・・
きっと当時の坂東の人には、そういう風に写ったに違いないと思います・・・
宿舎内部
バラッケ(兵舎)の中は、左右にベットが並んでいます・・・
個室と言う訳にはいかず、左側が2人部屋で右側が3人部屋の様です・・・
部屋と部屋の間には板壁があって一応プライバシーが保てていたようです・・・
屋根裏の小屋組みは西洋式を採用していますが、この兵舎を建てたのは西洋建築に詳しい者でしょうねぇ~・・・
若しかしてドイツ兵が指導して建てたんでしょうか・・・???
照明は、裸電球がぶら下がっていますが、坂東の当時の民家には未だ電気が来て無くて、どうやって発電していたのかは不明だそうです・・・

宿舎ベッド
2人部屋のベットはこんな感じです・・・
コンクリート張りの床の上に木の床を張り、木製の2段ベットをしつらえていますねぇ~・・・
でも壁には断熱材が入っておらず、内壁もなく床も畳等が敷かれていませんから冬場は寒かったと思います・・・
隣の部屋とは板壁で仕切られていて、何とかプライバシーは確保できたようですが、2段ベットの上には壁が無くて、話し声などは筒抜けだったと思います・・・

宿舎内
此方は3人部屋です・・・
2人部屋より机が置かれている分広い感じですねぇ~・・・
此方は内壁も板張りに成っていたり、火鉢やコタツなどがあって寒さ対策もされているようですねぇ~・・・
向かって右側に2段ベット、左側が普通のベットに成っています・・・
2人部屋との扱いの差は一体難なんでしょうか???
その謎は・・・

バイオリン製作
ここはバイオリンを製作している人のベットスペースでした・・・
職人さんなどは、2人部屋の2部屋分のスペースを3人で使っていたようですねぇ~・・・
製作スペースや材料置き場などが必要なのでこういう配置に成ったんでしょうかねぇ~・・・
ドイツ兵捕虜の多くが元民間人の志願兵で、彼らの職業は家具職人や時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など様々でしたから、自分の技術を生かして経済活動も行ったと言うことです・・・
そう言った職人達の製作スペース兼用の部屋なんでしょうねぇ~・・・
パン職人さんなどは朝が早いでしょうから、一般の兵士と同じだと生活サイクルが違い、睡眠などで迷惑がかかってもいけませんから、こういう配置になったのかもしれませんねぇ~・・・

ボウリング
驚いたことに兵舎の中にはこんなボーリングレーンがありました・・・
大正時代に既にボーリングと言う遊びがあったのも驚きですが・・・
しかも其のレーンを捕虜達自身で作ったという技術力も素晴らしいと感心しました・・・

ボウリングピン
ボウリングのピンは、ロクロで仕上げられた9本で、現在の10本とは並べ方も違います・・・
又、ボールも小さくて軽いしピンも重いので、皆で代わる代わるボールを投げてみましたが、中々ストライクと言う訳にはいきませんでした・・・
しかし、ガイドの方がボールを返してくれるときガターの溝を使っているのを見て、ガターの溝って本来はこういう使い方をして居たんだと判りました・・・
捕虜収容所にこういうゲームまで有るとは驚きですねぇ~!!!
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