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四国村へ・・・しょの6

添水唐臼
旧下木家から下っていくと添水唐臼と言う小屋が有りました・・・
農作物を粉にしたり脱穀するのは主に水車が使われますが、添水唐臼は水車より少ない水でも動かす事が出来ます・・・
添水唐臼は本来の唐臼の足で踏む部分に水受けを取り付けている唐臼で、水受けに水が溜まるとその重みで唐臼が上がり、唐臼が上がると水が流れ出して唐臼が元に戻り臼を衝くと言うものです・・・
添水唐臼は、水車より遥かに少ない水でも動かす事が出来ますが、当然動作がゆっくりなので掛かる時間は水車より長く成ります・・・
しかし水が少ない場所でも時間さえかければ脱穀したり製粉したりできますから、重宝されて居ました・・・
特に山間部では沢の水を家の近くに引いている場合が多く、その僅かな流れでも動かせるので結構使われている所が多かったようです・・・
特に大雨などで暴れる渓流筋では渓流の氾濫などから家を守る為に、渓流から樋や水路などで水を引いて来る場合が多いのでそんな場合でも使えるのが重宝されたようです・・・
前回にご紹介した旧下木家の様に家の近くまで水を引いて水汲みの労力を減らしている家などでは、流れ去る水を利用して家の下の方にこう言った添水唐臼を設置していた家も多かったようですねぇ~・・・
添水唐臼説明
添水唐臼の説明板です・・・
どうやら昭和30年頃まで徳島県の一宇村で使われていた物を移築したようですなぁ~・・・

久米通賢旧宅
添水唐臼から更に下りますと、何やらレトロな家屋が有りました・・・
今までの家屋は度は何方かと言えばクラシックな家屋でしたが、一部瓦葺でガラス戸が入り一気に近代的に成りました・・・

久米通賢旧宅02
どうやらこの住宅は旧久米通賢宅の様ですねぇ~・・・
久米通賢と言えば江戸時代に、高松藩の測量方をしていましたが、財政難に陥っていた高松藩を救うために坂出の浜に普請奉行として塩田を造り始めますが、高松藩の財政がひっ迫すると資材を投げうってこれを完成させ、日本の塩生産量の約半分を生産して高松藩の財政を潤したそうです・・・

久米通賢旧宅説明
旧久米通賢住宅の説明板です・・・
どうやらガラス戸などは移築する際に改造されて、今は休憩所として使われている様です・・・
確かに横に有るトイレなどは実際に使われて居ますし、他の住宅同様中に入る事も出来ますし、ガラス戸ですから寒い日でも休憩する事も出来ます・・・

旧中石家02
旧久米通賢住宅から更に下がっていきますと、旧中石家住宅が有ります・・・
土壁の周りを割竹で囲った珍しい住宅ですねぇ~・・・
奥に見えるのは隠居屋と納屋です・・・

旧中石家住宅内
旧中石家住宅は一応茅葺ですが、結構中はレトロな感じを受けますねぇ~・・・
今までの住宅には土間が有りましたが、それが無い為にそんな感じを受けたのでしょうかねぇ~???
矢張り板敷で上には茣蓙さえも敷かれて居ませんねぇ~・・・

旧中石家住宅説明
旧中石家住宅の説明板です・・・
主屋、隠居屋、納屋が一直線に並んでいるのが祖谷の民家の特徴のようですが、これは険しい山間部なので広い平場が取れなかった性でしょうねぇ~・・・
平家の落人の子孫と言われていますが、昔の武士の住宅もこう言う感じに主家、隠居屋、納屋と言う作りに成って居たんでしょうか???
しかし今までの民家には土間が有りましたが、何故祖谷の民家には土間が無いんでしょうか???
寒くて長い冬に家の中で何の作業もしていなかったんでしょうかねぇ~???
険しい山間部で冬は蓄えた食料などの消費だけをして過ごしていたとは考えにくいんですが、その点に関しては何の説明も有りませんねぇ~・・・
普通の山間部の民家では冬の期間は農耕が出来ませんから、ろくろを引いたり紙を漉いたり藁細工をしたりと長い冬でも生活費を稼ぐために色んな作業をしていたようなんですが、祖谷ではそう言った作業場自体が無いように見受けられます・・・
果たして冬はどういう作業をしていたんでしょうかねぇ~???
謎ですねぇ~・・・
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1Comments

@我楽多

@我楽多  

鍵コメさん・・・
メリークルスマス!!!! つたないブログですが、これからもお楽しみに・・・

2018/12/25 (Tue) 19:17 | EDIT | REPLY |   

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