我楽多写楽

写真道楽の我楽多が日常の徒然を書いてみます・・・

鼓岡神社・・・しょの2

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懐古堂
さてさて崇徳天皇がお住まいに成って居た木ノ丸殿跡って一体何処なんだろう???
と思って良く探しますとこんな石碑を見付けました・・・
しかし木ノ丸殿跡とは刻まれずに「擬古堂」と刻まれています・・・
坂出市のHPで調べて見ますと、「大正二年に崇徳上皇の75O年祭に合わせて,鼓岡神社の石段を登った右手に記念建造物が建設されました。かつての木ノ丸殿を偲ぶといったことから,擬古堂と呼ばれ,屋根など古風な造りの外観から,少しでも当時を思い浮かべることができるように造られています。」と書かれています・・・
それじゃぁ~木ノ丸殿は???
壊れたのか?それとも焼かれたか?
そこでもっと調べてみますと、坂出市のHPに「不運の最期を遂げた崇徳上皇の木ノ丸殿をここに移し,その頓証菩提(とんしょうぼだい)を弔ったところから,頓証寺と呼ばれる御廟所です。
 応永二十一年(1414年),後小松天皇から頓證寺と書かれた勅額(ちょくがく)を賜ったのにちなんで,頓証寺殿と呼ばれ,また勅額を掲げた山門を勅額門と呼ぶようになりました。
 現在の建物は,頓証寺殿,勅額門ともに延宝年間(1673~1681年)松平頼重の再建といわれています。」
と書かれています・・・
どうも木ノ丸殿の移築先は、詳しくは書かれて居ませんが、「頓証寺殿」と言えば確か白峰寺の境内に有ったはずです・・・
しかも勅額門も有りましたから間違いないでしょう・・・

懐古堂02
擬古堂(ぎこどう)ってこんな建物です・・・
一応鳥居が築かれていますが、建物が近世の建物ですから、どうにも木ノ丸殿とは思えませんでした・・・

懐古堂03
「擬古堂」の建物自体は少し古い昭和の建物と言う雰囲気でした・・・
とても大正時代に建てられたとは思えませんが、ガラス戸が少ないので矢張り大正の建築かな?と思わされます・・・

擬古堂
色々調べなくても擬古堂の説明板に白峰寺の頓証寺殿に移築したと書かれて居ました・・・
ん~注意して探せば判るように成って居るんですねぇ~・・・

頓証寺殿
白峰寺の頓証寺殿です・・・
此れが「木ノ丸殿」だったとは知りませんでした・・・
何でこんな建物が有るんだろうと不思議に思って居ましたが、やっと謎が解けました・・・

頓証寺殿02
確かによく観察すると「崇徳天皇」の額が掛かって居ますし、造りも粗末ながら昔の御殿の様な造りです・・・
再度白峰寺を訪れてやっと頓証寺殿が此処に有る意味が分かりました・・・

頓証寺殿説明板
よく観察すると勅額門にこんな説明板が有りました・・・
頓証とは仏教用語で速やかに悟りに達することだそうですが、崇徳上皇が崩御後都で流行り病や飢饉が相次いだ為、崇徳上皇の祟りと思い崇徳上皇の鼓岡の御所を御陵の遥拝所に移築して仏殿にしたようですねぇ~・・・
後小松天皇の宸筆扁額が奉納されて再建された門に掲げられたので、この門を「勅額門」と呼ばれて居るそうですねぇ~・・・
讃岐に配流されて8年 、「雨月物語」でも怨霊として描かれていますが、意外にも崇徳上皇は四国全体の守り神だと言う伝説も有る様です・・・
「明治天皇は慶応4年(1868年)8月18日に自らの即位の礼を執り行うに際して勅使を讃岐に遣わし、崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて白峯神宮を創建した。
昭和天皇は崇徳天皇八百年祭に当たる昭和39年(1964年)に、香川県坂出市の崇徳天皇陵に勅使を遣わして式年祭を執り行わせている。」・・・WIKIより
と最近の天皇も崇徳天皇の御陵に勅使を派遣して居る様ですし・・・
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